文政10年創業、200年の歴史を紡いできた土佐家。
長い歴史の中で今も語り継がれるお話を紹介します。
江戸時代、大阪相撲で活躍していた玉島出身の力士の玉手山(たまでやま)。大阪から玉島へ帰る際、岩之助(いわのすけ)という遊び人の男に「真面目になるから」と懇願され、玉島へ連れて一緒に帰ることになる。玉島へ帰ると玉手山は岩之助が独り立ちできるよういろいろと世話をしてやった。
最初は真面目にしていた岩之助だが、徐々に本性を現し酒や賭博で遊ぶばかり。近所の人から玉手山に「迷惑だ」と苦情が入るようになる。見かねた玉手山は岩之助を厳しく叱った。
自分の行いを顧みず、玉手山に恨みを持った岩之助は仕返しを計画する。仲間を集めて玉手山の家に忍び込み、酒に酔っていた玉手山に「玉手山、思い知れー」と切りかかった。分家し「土佐家」を営んでいた玉手山の弟・光蔵(みつぞう)が駆け付けると玉手山は光蔵へ「岩之助にやられた、仇をとってくれ…」と言い亡くなった。
光蔵は仇討ちの許しを領主にもらうと仲間7人と共に、籠屋の親分になっているという岩之助がいる草津へ行った。宿で大宴会をし、籠を頼んで岩之助をおびき出した。そして何も知らずに籠屋としてやって来た岩之助を仲間たちで 囲み、兄・玉手山の仇をとった。玉手山が亡くなってから11年が経っていた。
光蔵一行は戻ってくると松山藩へ仇討の報告を行った。それを聞いた松山藩主は光蔵をほめ、太刀一振りを貰い、今井という苗字と帯刀を許されたという。